2010年09月30日

宮崎県西都一ッ瀬川散策

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 パンパスグラス
 2010年9月24日、北から寒気を伴った高気圧が日本列島に張り出してきて気圧配置が変わり、きのうとは打って変わって暑さが遠のき秋らしい1日です。
 今日の休みは少し距離を伸ばそうと少し早目の午前中から自宅を出て、西都から一ツ瀬川を上ってダム湖を横に見て、銀鏡(しろみ)隧道手前を右に曲がって、銀眼集落を目指すつもりでいました。
 その前に昨年から気になっているモノがありますので少々遠回りをしてカメラに収めることにしました。パンパスグラスの小山です。
これらの写真は西都市都於郡で撮ったものです。
 西佐土原から三納、三財方面に向かう道路沿いの小山を埋めています。
 以前はもっと山全体を埋め尽くしていたそうですが、高齢で手入れがなかなか出来ないと近くにいた方が話していました。
 パンパスグラスは、 (和名シロガネヨシ) で、イネ科 コルタデリア属の多年草の植物です。
 原産地はブラジル、アルゼンチン、チリなどで南米大陸の草原(パンパス)に群生しています。
 高さ2〜3m程度と大きく成長し、細長い葉が根元から密生して伸びていきます。

2010年09月29日

町並み保存の美々津散策

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 在来線と実験線
 何しろ当時の国鉄の技術は世界の最先端を走っていてリニアモーターカーも将来の高速鉄道として大きな期待を背負っていました。
 そんな施設にはたくさんの研究者や政治家が視察に訪れたり、たくさんの一般の人々が見学に訪れたものです。
 実験は順調に進みトンネルを想定した風洞を取り付けた区間や人を乗せて走行する実験などが行なわれました。
 しかし、風向きが変わってきたのは昭和60年を過ぎた頃からです。
 まず問題になったのが単線であること、交差する時の影響が実験できません。
 それから実験線の距離です。7qでは十分なスピードを出す距離が短すぎるなど、将来の営業線として使用するには色々な弊害が出てきました。
 それからなんと言っても大きな影響を与えたのは政治家です。
 昭和63年に訪れた石原慎太郎運輸大臣は、視察を終えた後の記者会見で、「近代的な乗り物がブタ小屋や鶏小屋の中を走るのはなじまない」なんて、のたまい宮崎からの撤退を示唆しました。
 また、当時権勢を振るっていた自民党の金丸信氏の存在も無視できません。
 こうして、平成8年に宮崎での実験が終わりを告げ、新しい実験線は山梨県に設置されました。
 写真のように実験線の軌道や実験基地の建物は今もそのまま残っています。
 遠くから見ると、軌道が新幹線の高架に見えてしまいます。
その下を日豊本線が平行して走っていますが、電車の乗客は、「これ何?」と、尋ねるほど今は昔のことになりました。

2010年09月28日

日向美々津の町並散策 日向美々津の町並散策 町並保存の日向美々津散策

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 リニア実験線跡
 美々津の町並をひと通り周ってから南へと歩を進めました。
 国道10号線に架かる石並川と言う小さな川を渡り、国道から離れて海沿いを南下します。
 この辺りに来るのは何十年ぶりでしょうか。以前はブロイラー工場があったはずですが・・・・・。
 日本で有名な大きなハム工場を筆頭にいくつか工場が操業していました。
 ブロイラー工場もありましたが、こんなんだったかなあと、記憶とは違っていました。
 国道から別れて20分ほど歩いたでしょうか、道の西側に並ぶ工場の隙間から大き目の建物が見えてきました。
カベにはJRの大きな文字が見えます。その下に「鉄道総合技術研究所」の文字が見えます。
 そうこれが、あの有名なリニアモーター式鉄道の研究開発の基地だった建物です。
 1977年(昭和52年)に、ここ日向市美々津から東都農までの約7qの間で実験線が開設されました。 当時は、実験が成功すれば未来の夢のリニアモーターカーが宮崎を走ると県民こぞって賛成したものです。

2010年09月27日

日向美々津の町並散策

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  昔風トイレ
 以前はよく、私もこの七ツ礁に釣りに出かけていましたが、船頭からその話は何度も聞かされていました。
 プレジャーボートはともかく、漁に出る漁船はそうした昔からの言い伝えを守っています。
 その後、美々津では、8月1日に「おきよ祭り」が行われるようになります。
 急ごしらえの団子は「つきいれもち」と呼ばれる美々津の有名なお菓子として、今も受け継がれています。
 郵便ポストも昭和を思い出しますし、個人宅のポストや新聞受けも昔風に作られ、それら整然と整備された町並を見ながら歩くと、昔の栄えていた頃の様子が脳裏に浮かびます。
 町の南端の駐車場にある公衆トイレも茶色と白色で造られ趣きを醸し出していました。
 ただ、町中を歩いていて気づくことは若い人がいないと言うとことです。小中学生も見かけません。
 縁側に座っているのはおばあちゃんやおじいちゃん、「歴史民俗館・資料館」のガイド・案内もかなり高齢者です。
 この地区も過疎とともに高齢化が進んでいるのを痛感しました。

2010年09月26日

日向美々津の町並散策

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美々津町並保存
  軍船も完成して港に集まり、水軍の訓練も進み、いよいよ(旧暦)8月2日を出港の日と決めて、遠見の山で凧を揚げて風の方向を調べたり、船を沖合いに出して潮の流れを調べたりしていました。
 (遠見山では今でも秋凧といってこの時期に凧を揚げる習慣があります。)
 ところが、予定より一日早い八朔の四更(旧暦8月1日の午前2時)の頃に遠見山の見張り番が、風向きも潮の流れも今がいい、との報告があって急に出発すことになりました。 
 それを聞いた村人達は、「おきよ、おきよ、出発されるげな」と家々を起こして回ったそうです。
 村の男達は出発の加勢に出向き、女達は献上する予定であった団子をつくる時間もないままに、その材料の米粉と小豆を混ぜ合わせて、捏ねて、蒸して、臼で搗いて、団子らしきものを作って差し上げました。
 このときに、御腰掛岩に立って進み具合を見ていた神武天皇の衣服のほころびを見つけた少女に、天皇は立ったままで繕わせたそうです。
 それ以来、美々津のことを「立ち縫いの里」というようになりました。
 夜明けに立磐神社と向こう岸の湊柱神社に武運と航海の安全を祈願して、いよいよ出発することになりました。
 神武天皇の軍船団は美々津のすぐ沖の七ツ礁(ばえ)と一ツ神(かみ)の間を通って東征に向かいました。
 それ以来、美々津ではこの二つの礁の間を「お舟出の瀬戸」と呼ぶようになり、以来この間を地元の人は通らないようになりました。
 二度と帰ってこない人にならないように縁起を担ぐようになったからです。

2010年09月24日

日向美々津の町並散策

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立磐神社
その碑の奥には、立磐神社(たていわじんじゃ)があります。この神社が耳川河口にあり、神武天皇と住吉三神を祀っている神社です。
 「都農一宮神社の先で、天孫瓊々杵尊もお通りになられた大御神社手前に耳川という川が流れています。
 その河口の水深は深く、近くには山々が迫り、船を造るための木材が豊富にございます。
 そして、腕のいい船大工や水夫も沢山いて、村人も素直で勤勉なものが多いと聞いております」それを聞いた神武天皇は「そうであれば美々津を出発の港と定めよう」といったような評議があったのでしょう。 神武天皇は、美々津に到着して「神の井」(新町の八坂神社内)に行宮を造り、出港までの住まいとしました。耳川の河口から上流約2.5kmの所に余瀬という土地があり、そこの神立山から木材を切り出してきて、匠ヶ河原で船を建造しました。
 神武天皇は立磐神社の境内にあって、今は御腰掛岩というようになった岩に腰掛けて、あれこれ指図をしていたそうです。

2010年09月23日

日向美々津の町並散策

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  海軍発祥地
 ほどなく四差路があり、左折すると耳川方向です。まずそちらに歩いていきました。
 目の前に飛び込んできたのは細長くて10mほどの碑です。
 碑には「日本海軍発祥の地」と書かれていました。まさに「ヘェーッ」と言う感じです。
 傍らに大きなイカリが展示してありました。日本海軍は、天皇が統治された海軍で有りました。
 このことから国が、神武天皇親率の水軍が初めて編成され、発進した美々津の地を「日本海軍発祥之地」と定め、紀元二千六百年記念事業の一環として建立されました。
 碑文の文字は、時の内閣総理大臣海軍大将米井光政閣下の揮毫により、碑面に刻記されたものであります。
 この碑は、大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって碑文が破壊されましたが、昭和44年に至り地元有志の強い要望により、防衛庁(海上自衛隊)などの協力を得て、現在の通り復元されたのであります。                                         
(この項、碑文の説明から引用)

2010年09月22日

日向美々津の町並散策

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  歴史資料館
  信号のカドに「美々津町並保存地区」の大きな看板が掛かっています。美々津は遠く神話の時代、神武天皇東征の時の船出の地として知られ、それにまつわる多くの伝説や遺跡が残っています。
 江戸時代は、高鍋の秋月氏の支配下にあって、藩の重要な港として藩船碇白泊となり、海上交通の要地でした。中町は現在も町並みがよく残されており、中央付近の東側に「元回船問屋旧河内屋」があります。
 もとの持主が、土地・屋敷ともども日向市に寄付し、昭和55年に市有形文化財に指定され、改修して「歴史民俗館・資料館」として有料(大人200円)で一般公開されています。
 中庭や蔵などは、当時の商家をそのままに再現されています。
 箱階段や虫籠窓、京格子と京都や大阪の町家造りを取り入れた建物内では、大福帳やそろばん、文机など商売で使われていた道具類も見られます。
 回船問屋だっただけに、2階からは美々津の海が見えるようになっています・・・・・・・・・・・・。

2010年09月21日

町並保存、日向市美々津散策

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  美々津地区
ところで、今日9月21日は昨夜、延岡で飲み会があった関係で県北を歩くことにしました。
 で、日向市南部のリゾート温泉施設サンパークに隣接する「道の駅日向物産館」に車を停めて国道を南へ目指しました。
 実は、5月でしたか、ここに車を停めて、美々津から太平洋に注ぐ耳川を渡って上流に歩いたことがあります。
 旧跡もいくつかありましたが、そのままになってしまいました。
 今日はこの耳川右岸に開ける美々津の町並をカメラに収めようとやってきました。
 普段は国道を通り過ぎるだけで実際に自分の足で歩くのは今日が初めてです。
 耳川に架かる美々津大橋を渡ると信号があり、そこを左折すると美々津地区を象徴するような江戸から明治時代を再現した商家が立ち並んでいます。
 

2010年09月20日

日南海岸南部を散策

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眺望良好日南南部
 海面から約100mのところの山の中腹に道が通っています。
ここも昔は観光バスがやっと交差するくらいひっきりなしに通ったものです。
先ほど紹介しましたハイビスカスですが、確かにたくさんの花を付け、それなりにあざやかなのですが、その周りを見ますと、雑草と雑木林に覆われています。
折角の眺望も台無しの状態です。
訪れるのは、この先にある有名なサーフィンポイント・恋ケ浦を目指す若者だけでは、まことにもったいない気がします。
久しぶりにこの地を訪れ、しかも歩くのは始めて、道路上から見える大海原はどこまでも碧く鮮やかな眺めは観光資源として一級品と思えますが、現在、青島の旧橘国際観光ホテルの解体が済んだばかりの状態。
とても宮崎の南の端までは手が回らないでしょう。

2010年09月19日

日南海岸南部を散策

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 南郷海中公園
 今日は日南海岸を下って、日南市を過ぎ、串間市の市木沖に浮かぶ幸島(こうじま)の先に車を停めて、そこからより南の都井岬方面に向かって歩きました。
幸島には、イモを海水で洗って食べる文化ザルが野性の状態で生息しています。
今回は時間がないのでパスです。
この道も昔は新婚客で賑わった道路で、南国情緒を醸し出すために、海側には等間隔でハイビスカスが植栽されています。
海と花を眺めながら観光客や新婚客は、都井岬にある都井岬観光ホテルや周辺のホテルや民宿へ吸い込まれていきました。
が、これも今は昔、多くのホテルには錠がかかり、訪れる人々は、都井の岬馬を写真に収め、ユータンーンして往き来た同じ道を引き返します。
今でも真っ赤なハイビスカスは、南国的な雰囲気を与えてくれますが、写真でお分かりのように、この道路は大雨に非常にもろさを露呈します。

2010年09月18日

日南海岸南部を散策

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  県花ハマユウ
 「大地に絵を描く」と言って、日南海岸を一大観光地に仕立て上げた岩切章太郎翁以後、これはと言う人が出てきていません。
たとえ一人ではなくても、県内の商店街、観光スポットなど見て歩いても独自性が見当たりませんし、行けば何があるのだろうかと言うワクワクするようなイベントやスポットが、見当たりません。
そうかと思えば、海がすぐそばに控えているのに世界一の屋内ドームの水泳施設を造る考えられないことをした人もいます。
そのドームも3年前に閉鎖され未だ使い道を見出すことなく、白亜の建物全体をアカサビが覆うとしています

2010年09月17日

日南海岸南部を散策

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  ハイビスカス
  現在の宮崎県の観光地で人気があるのは、高千穂峡や天岩戸神社など県北の高千穂一帯です。
特に天岩戸神社はスピルチュアルなものが人気の現在、「霊的な、精神的な、神聖な」場所として「霊的なこと(もの)」が強いスピリチュアリティに興味を持つ多くの人々が訪れています。
昨日もテレビで高千穂を題材にしたサスペンスドラマをやっていました。
他にどこかがあるのかなあ?
おっととと・・・・・。
宮崎県庁にも多くの観光客が訪れ、東国原知事を目当てに「会えればラッキー」と、大型バスが未だにひっきりなしに訪れています。
さすがに、知事就任の1年目からすると、ごった返すと言うほどではありませんが・・・。
その半面、今日車で通った青島をはじめ日南海岸の各スポットは、その昔の新婚ブームと比べると、見るも無残と言った趣きです。
何故でしょうか。
観光立県として宮崎県を引っ張る強力なリーダーシップを持った人物が出てこなかったからでしょうか。

2010年09月16日

日南海岸南部を散策

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 鵜戸神宮山門
  ま、しばらく様子をみましょう。
それにしても、観光バスと言うよりマイクロバスが目立ちますね。
最近は、20名程度の少人数の旅行をよく見かけます。
規制緩和で観光業者が増え、マイクロバス会社は、バスガイドの経験がある人材を登録していていつでも対応出来るようにしてあります。
ちなみに、鵜戸神宮ですと、マイクロバスの中型までは、海岸線を通って参道へ通じる駐車場まで入って来れますが、大型バスですと、旧鵜戸トンネル横から入った駐車場にしか停められず、お客さんは急な階段になっている所を一山越えて参道へ下りてくることになり、足の悪い人は少々大変です。
最盛期は、こちらの道が正規の参道で道路脇にはたくさんの土産物店が並んでいたものですが、今は昔、多くは店を閉じ、一般車の駐車場沿いに数軒の店がある程度。
ここも青島とあまり変わらない、昔の盛期の面影がないのが残念です。

2010年09月15日

日南海岸南部を散策

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   鵜戸神宮
  2010年9月12日(日)。
どうもこのところ、身体がだるく精神的にも重い感じで足が前に進みません。
夏の疲れでしょうか。
今日はそんなコンディションですので、なかなか自宅を出ることが出来ません。
とりあえず、昼を過ぎてから南へ下ることにしました。
2週前は日南海岸の富土から林道に入りました。
今回は珍しく鵜戸神宮へ立ち寄ることにしました。
と言うのは、これまで何べんも訪ねている割には適当な写真がほとんどなかったからです。
駐車場から山門を立て続けに撮り、丸橋の上から神宮前の運玉入れに興じている観光客を撮り、後は神宮入口から内側を収めました。ハイこれだけです。
これだけでどこの何神社かわかるはずです。
ところで昨年の豪雨、土砂崩れで通行止めだった山門付近は、ちゃんと工事が終了していました。
しかし、どうもセメントが露になっていて上や横からのぞくと、神社には似つかわしくない気がします。

2010年09月14日

日南市富土は暑かった

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  道端には花

気温、久しぶりのコース、傷めた右ヒザなど要因は、いろいろありますが、一番は歩く量の不足による運動不足でしょうか。


先週は、宮崎県央の高鍋地区から川南漁港まで海岸線を歩きましたが、距離にして往復10km程度。


今日は麓から分岐点まで片道8.5kmしかありません。


これから気候的に一番良い季節を迎えます。


もっと自宅を出る時間を早くして、このサイトで宣言しているように、宮崎県のあまり知られていない名所旧跡を周り、紹介していきたいと思います。


どうも最近のサイト紹介は、近場の何度も通ったコースばかりで自分自身手抜きしているように感じます。


まだ、歩いていない延岡市の北部の北川、北浦、北方の3北地区や美郷町の神門地区、北郷地区などや高千穂の岩戸地区などなどは、早目に家を出ないと、満足する距離を歩くことが出来ません。


宮崎県には、まだまだ隠れた名所旧跡が山ほどあるはずです。


趣味と健康を兼ねてもう少しペースを上げて、見て周り紹介していこうと思います。

2010年09月13日

日南市富土は暑かった

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 涼しげな小川
 話しがそれましたが、昨年の9月、台風の影響に伴う集注豪雨で破壊尽くされた林道ですが、丁度今は草木が生い茂っていて土砂が下った跡は草木で覆われていて、面影はほとんど見当たりませんでした。
しかしながら、林道と平行して流れる富土川の対岸の上方から崩れた大規模の現場は、さすがに草木が生い茂ってはいますが、巨岩や倒れた木々が生々しく、昨年の被害の爪あとを残していました。
所どこに点在する富土・池内の集落ですが、どこの家もこざっぱりしていて、花々が植えてあります。
土曜日と言うことでかなりの地元の人に会いましたが、やはり高齢の人の姿が目立ちます。
確実に高齢化と過疎が進んでいる印象を受けました。
今日は気温が32度まで上がっていました。
さすがに、こんな暑い時にこのコースはきついですね。
ヒザを傷める2年前までは、下はアスファルトで舗装されていて、急な上り坂も見当たらず、結構、速いペースで歩を進めていたと記憶していますが、今回は暑さの中、いままで感じなかった道が、こんなに勾配があったのかと、今までと違う感覚を覚えました。
げな小川
  

2010年09月12日

日南市富土は暑かった

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  ヒガンバナ
 何しろ国道から林道に入ってすぐの所から、今回引き返した、北郷町と広野林道の分岐点まで、時には固まりで、時には1本ポツンと、あるいは細々と、咲き乱れているのです。
まさかこの林道でこんなにたくさんのヒガンバナを目にするとは想像もしませんでした。
ところでヒガンバナと言えば、宮崎県西部の高原町の皇子原公園でしょうか。
花の盛期に行ったことはありませんが、公園全体がまるで赤いジュータンのような感じです。
こちらは、地元や公園関係者の方々が3〜40年かけて、丹念に植えていったと聞いています。その数約300万本。今が一番の盛りですが、果たして時間が取れるかどうか。

2010年09月11日

日南市富土は暑かった

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  ヒガンバナ
  今日はそんな海岸線を避けて、久しぶりに日南市富土(ふと)地区から国道を山手に折れて、林道を散策することにしました。
このコースは、良く利用していますが、前回の記録を見ると昨年の11月15日に歩いています。
時間の経つのは、ほんとうに速いものだと感心します。
昨年歩いた時は、9月に九州の南海上を西進した台風の影響をモロに受け、太平洋から吹き付ける湿った空気が山地にぶち当たり、この一帯に記録的な雨を降らせ、至る所で土砂崩れや土石流が発生していました。
今回はそんな昨年の被害の跡を見ながら、麓から富土の林道を上っていきました。何度も通っているこのコースですが、この時期に歩くのは今回が初めてで、少し暑さを感じながらの歩行となりました。
歩いていてまず、気づいたのはヒガンバナの多さです。
国道を折れてしばらくすると真っ赤な花や時に白色、黄色のヒガンバナが道の両脇に延々と咲いていました。
人工的に植えるには相当な距離です。

2010年09月10日

日南市富土は暑かった

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  夏真っ盛り
 2010年9月4日(土)、今日は日南海岸の富土(ふと)を歩きました。
通常ですと朝夕が過ごしやすくなり秋の気配が漂い、なんとなくロマンチックな気分にさせられる時期ですが、今年はとてもそんな感覚に浸っているような悠長な気分にはなれませんね。
日本全国、真夏と言った感じで大阪や名古屋、岐阜、埼玉など気温が35度、6度7度、8度と異常な高温が続いています。
例年ですと日本のはるか南の海上、つまりフィリピンの東の海上周辺で台風が発生し約1週間かけて発達、日本近海に接近、上陸します。
ところが、今年は南の海上はもとより日本近海の海水温が例年より4〜5度も高く、台風も沖縄付近とかなり高い緯度で発生して日本近海を目指すパターンのようです。
そんなこんなで猛暑の続く宮崎です。
日本の南方海上には台風9号があって北北東に進んでいます。
そんなに大きな台風ではありませんが、海上は先日の台風通過時よりかなり大きな波が海岸に打ち寄せています。
それでも元気な若者は海に入りサーフィンを楽しんでいました。
ただ、外洋はやはり無理、海水浴場や入り江がフィールドですが、それでも結構大きなウネリを伴った波が岸辺に打ち上げています。
念のため大浦漁港まで足を延ばしましたが、さすがに港内を含め人っ子ひとりいませんでした。

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