2009年05月10日

宮崎県都農町の里山歩きB

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  山陰一揆碑
かなり歩き回り腹も減っていて、いつもの粗食であっても「高級レストランの味」を久しぶりに満喫しました。滝を後にすると、ほどなく広域農道に出ました。
道脇に「観音滝入り口」の標識が立っています。
滝が目的ならばすぐにいけそうです。
広々とした片側一車線の農道が高岡町から国富町、西都市を通り川南、都農を抜け日向市から延岡市まで続いています。
地元の人は国道10号線が混雑するとこの道を使います。
ほとんど信号がなく渋滞することもないので予定通り目的地に着くことが出来ます。
ただ、難点は山を何度も上って下りなければならない点でしょうか。
そんな農道に出てから北に進路を取り、約5q歩いて征矢原の交差点から右折、一路国道10号線を目指します。
この辺りは緑が多いところで、森林浴には絶好です。
車もほとんど通りません。
約1時間で国道10号線に出ました。
車のなんと多いことか。
道路を横断出来ないほどの交通量に、ただ絶句です。
残りは車を置いている都農神社の駐車場まで約7qこの国道を歩かねばなりません。
しかし、車の多さからして脇道を探しました。
すると、「山陰(やまげ)百姓一揆記念碑まで1,2km」の案内板がかけられていました。
→が西を向いています。
また、山手に向かうのは精神的にシンドイのですが、好奇心と国道の車の排気ガスを吸いたくないと言う気持ちが上回り、記念碑を訪ねました。
「ほほう!こんなことがあったのか。」
山陰、坪谷の農民が高鍋に逃避行なんて、初めて聞く話しです。
車で通っている限りはこんな郷土の歴史の一齣など触れる機会はまずありません。
郷土再発見と言いますか、歩いているからこそ出会える、経験できることは数知れずです。
そして午後6時前、無事に車がある都農神社に到着です。
約5時間のウォーキングでしたが、溜まっていたストレスも少しは発散できたようで、素晴らしい1日を過ごすことが出来ました。
明日は南部の日南市を歩きます。
山陰百姓一揆
時は元禄の頃、あいつぐ天災にくわえ、延岡藩役人の容赦ない年貢の取り立てなどの悪政に堪えかねた山陰・坪谷両村の百姓299所帯、1422名が元禄3年(1690年)9月19日に一斉に村をすて高鍋藩領を目指して逃散した。高鍋藩は百姓たちを股猪野原(現在の都農町又猪原)に小屋を作り全員を収容した。逃散の百姓たちは高鍋藩から飯米の給付を受けたが、拘束された不自由な生活を送っていた。月日が経つにつれ老人や子どもなど、79名もの死亡者がでるほど悲惨な生活状態であった。約11ヶ月に及ぶ小屋掛け生活の間に延岡、高鍋両藩の帰村の説得には応じず、ついに幕府評定所の裁定によって一揆首謀者等関係者ははりつけや打ち首などの死罪、島流しの刑を受けた。その他の村人は放免となり、元禄4年7月に帰村した。逃散事件から310年を迎え、自分たちの生きる権利の獲得のためにこの股猪野原で強く生きた逃解百姓たちの霊を供養しこの碑を建立する。
posted by 日向夏 at 21:44| 宮崎 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記健康が一番!愉しい山道散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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