2009年05月28日

宮崎〜高岡〜清武〜青島40kmウォークA

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特に、この季節は1年中で一番花々がキレイに咲き誇る時機でもあります。
ツツジは、ほぼ終わりましたが、アヤメやシャクナゲ、名も無きたくさんの山野草、みかんの花、それに道中の民家の庭先では、赤、白、黄色のツルやミニ、イングリッシュのバラの花が鮮やかに咲いています。
途中の名所を訪ねるのも楽しみの一つであります。
今回は、初めて清武町木原にある黒坂観音を訪ねました。
この神社は歩行コース沿いにあり、これまでもその気になれば簡単に行ける所にありますが、いままではそんな名所、旧跡に関心が無くパスしていました。
今回訪れて、この神社境内にたくさんの石塔群があるのを知りました。
石塔(せきとう)とは、供養などのため石を積んで塔の形にしたものを言います。
または石造の仏塔のことで仏舎利を安置するための供養塔の意味で使われることもあります。
三重、五重、七重、九重などの石塔が日本全国に分布しています。
清武町教育委員会によりますと、この黒坂観音に安置されている石塔は、実際は周辺の丘陵部に存在していたもので、昭和57年から発掘調査が始まり、五輪塔が約450基、板の碑が80基ほど確認され、保存を目的にこの地に移されました。
出土したときはすべて倒壊した状態でありましたが、10数区に区分されていてそれぞれがコの字形に五輪塔や板碑が配置されていました。
この境内の中に安置されている弘安8年(1285年)の銘のある宮崎県指定有形文化財の「五輪塔」も同一の場所から出土しました。
五輪塔は、供養塔の一種で、四つの部分からなっていて、それぞれ下から地輪、水輪、火輪、空風輪と称し、密教の五大思想を表しています。
県の指定を受けているのはその内の地輪と水輪で他は別個のモノです。
水輪には前面と背面に弘安8年(1285年)の刻名があり、鎌倉期の五輪塔として大変貴重なものです。
この五輪塔は、もともとは約1km南東の勢田寺境内にありましたが、同寺が廃寺となった明治時代の初め頃に現在地に移されたと言われています。
出土した石塔には紀年銘のあるものも数基確認されています。
最も古いものは応永25年のものですが、さらに古い特徴を持つ五輪塔も存在しています。
大部分のこの石塔群は鎌倉時代末期から江戸時代初期の約300年間に作られたと伝えられています。
石塔群は前述のように日本各地に存在しますが、これほど大規模の石塔群となると国内でもあまり例がなく、中世の武士文化の一端を知る貴重な文化的遺跡として現在の地で保存されています。
posted by 日向夏 at 23:47| 宮崎 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記健康が一番!愉しい山道散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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